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[大宇宙のしくみが解かってきた!「応用編」]  第41号

[大宇宙のしくみが解かってきた!「応用編」]  第41号

第6章 宇宙のしくみを活かす生き方

6-4.どのように生きるべきか?

1.人生の目的は?

私たち人間はこの地球上においてどのように生きたらよいのでしょうか? 人それぞれ様々な生き方がありますね。そもそも人間は、何のためにこの地上に生まれてくるのでしょうか? その目的は何でしょうか?

前節の「大宇宙のしくみと生命」によると、「気の海」の中の「意識」が地上の肉体とつながり、この世に生まれてくることになります。その時の「意識」の目的、意図はケースバイケースでいろいろあると思われます。

「気の海」の中の「意識」たちは「特設ステージ」上の様々な人生を眺め、泣き、笑い、感動し、学び、批判し、研究していると考えることができます。そして、自分がもし地上に生まれることができたら、こんなことを試してみたい、自分のこんな欠点を改善したい、こんな方向に成長したい、など様々な思いを抱いて眺めているかも知れません。

そして実際に生まれるときは、それらの中から課題を絞って「この世」に生まれてくることになるのかも知れません。もし何の目的もなく、ただブラブラと遊んで暮らしたいというのであれば、多分地上行きの切符を手に入れられないのかも知れません。

多くの人は、生まれる際にそれなりの目的を持って生まれてくるように思われます。人生の目的、意味はその人によって異なるのです。

2.段階と成長

人間は様々です。いろいろな人間がいます。汝盗むなかれ! 汝殺すなかれ! など基本的教訓が必要な人間がいます。ひたすら蓄財して悦に入るエゴ丸出し人間がいます。一方、マザーテレサのように他者のための愛に生きる聖人もいます。人間の本質とは何かを思索する人がいます。宇宙のしくみを解き明かそうとする人間もいます。

同様に「気の海」の意識体たちも様々です。一様ではないと考えられます。その成長の度合いによって様々な意識レベル、段階にあると思われます。それぞれのレベル、段階によって試すべきこと、学ぶべきことが異なって当然ですね。だから、地上に生まれるときの人生の目的も様々であると考えられます。

3.目指すべき方向

しかし基本的には、成長し発展していく方向を目指すことになると思います。何故なら、宇宙そのものが成長し発展しているのですから、そこに住む生命体も成長していくのが自然だからです。決して人類の築いてきた文明を逆行させたり破滅に向かわせてはならないのです。

生まれる際に抱いていた人生の目的も、基本的には成長、発展の方向の筈であり、生まれた後はその方向に向かって成長していくのが自然の流れです。

しかし、人間は生まれたとき、ゼロの状態、何の知識も記憶もない状態からスタートします。そして成長し、成人になっても、自分の本来の人生の目的を理解できている人は必ずしも多くないと思われます。現実に、生活の糧を求めて四苦八苦している状態では、人生の目的を見つけるのはなかなか難しいですね。

生活がそれなりに安定し、人生の来し方を振り返る余裕がでてきた時に、これで良かったのか、他にやるべきことがあったのではないか、など想いを巡らすようになるのかも知れません。

また、今の生き方では駄目ですよ、生き方を変えなさいと、「気の海」の「意識」から示唆を受けたり、警告を受けたり、強制的に今の生き方を中断されるケースがあるかも知れません。実は私の場合は、このケースであったと思っています。重症の脊椎管狭窄症が段階的に悪化し、最終的には仕事一辺倒の猛烈社員生活を変えざるを得なくなりました。そして視野を拡げて「宇宙のしくみ」を様々な角度から探求するようになり、結果的に悲惨な症状を軽減することができました。

もちろん、若いころから自分のやりたいことを自覚して、それに向かって一直線に邁進する方々も少なからずおられると思います。

一方、人間以外の生物ではどうでしょうか? 単細胞生物、植物、動物たちは、生まれる目的などを考える能力は無さそうに見えます。本能に従って、生まれ、成長し、生殖し、死んでいきます。各個体そのものは何の思索も行わないように見えます。

人間も何も考えずにただ本能の趣くままに生きるのであれば他の生物と大差ないことになります。それで良いのでしょうか? ただしそれが悪いとは言い切れませんね。人それぞれ様々ですから。

人間が本来の人生の目的に気付くための方法論があります。

それは第3章で一部をご説明した「呼吸法、気功、瞑想」、そして「調心」です。もちろん、2度、3度試したくらいでは無理ですが、継続していると次第に「気の海」の意識体と共鳴、共感し、つながり易くなります。そして何かに気付いたり、ヒントが浮かんできたり、示唆を受けることが多くなります。

既にご説明した「宇宙のしくみを活かす健康法」は、単なる健康増進だけでなく、より良い人生を生きるための「気づき」を得る方法論でもあるのです。

だからこそお奨めしています。

4.人間の使命

単細胞生物、植物、動物たちは、各個体レベルでは思索を行わなくても、種全体としては極めて高度な知性を有しているようです。NHKテレビの「ダーウィンが来た」や「自然百景」でも驚くような様々な事例が紹介されてきました。生き残りをかけて様々な模索をし、高度な戦略を練ったりしています。だからこそ様々な環境変化に対応して驚くような変化を遂げ、進化していくことができます。

その主体は、種を代表する「意識体」であり、私はそれを「生物創造の神」と呼んでいます。「神」と言っても専門化した「意識体」の一種に過ぎません。もちろん、姿、形はありません。既に述べた「抗生物質と多剤耐性菌の関係」がそれを如実に物語っています。

生物たちは、各個体レベルでは思索を行わなくても、「生物創造の神」がしっかり思索を行っているのです。その関係は、「個」と「全」の関係になります。各個体は「個」であり、種を代表する「意識体」すなわち「生物創造の神」は「全」です。「個」と「全」が一体となって、その「種」を維持、発展、進化させているのです。

ただし「個」は3次元空間の制約を受けますが、「全」は高次元空間に拡がるので、「個」の立場で「全」を認識し理解することはできないのです。しかし「全」は、「気の海」の様々な叡智を駆使して思索し「種」を維持、発展、進化させようとします。

人間の場合も、人間という種を代表する「意識体」、すなわち「人間創造の神」がおられると考えられます。将来、仮に環境の大激変が生じた場合は、「人間創造の神」はあらゆる手立てを尽くして人間を変化させ進化させようと動き出すと考えられます。

人間の場合は他の生物と異なり、各個体が知性を持ち、思索を行います。宇宙のしくみに想いを馳せ、人間の本質にまで迫ろうとします。人間はこの点で他の生物とは大きく異なります。犬や猫はもちろん、チンパンジーでさえ、物を作り、音楽を楽しみ、文明、文化を発展させることはできません。この地球上では人間だけがその能力を持っています。

したがって人間は、人間だけのことを考えるのでなく、他の生物や、その舞台である地球環境そのものに「意識」を拡げるべき存在であるように思われます。それが「人間の使命」かも知れません。そのように考えると、人間は成長し進化しなければなりません。

「成長・進化」とは、「和」を尊重し、知識を拡張し、経験を蓄積し、真理を追究し、美を拡げることを基本として、さらに視野を拡大し、視点を高く高揚し、意識を拡張することと考えられます。意識を拡張する第1歩は、「気の海」にまで意識を拡げることにより、大自然と融合することと言って良いと思います。

人間は、「人間創造の神」、いや「宇宙創造の神」の分身の役割を求められているのかも知れませんね。

富士健康クラブ 

   関口 素男

    sekiguchi.m@ozzio.jp
















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by jiriki-tachikawa | 2018-06-19 07:44 | 応用編メールマガジン

[大宇宙のしくみが解かってきた!「応用編」]  第40号

[大宇宙のしくみが解かってきた!「応用編」]  第40号

第6章 宇宙のしくみを活かす生き方

6-3.大宇宙のしくみと生命 

人が死んだ後、全てが「無」になるのか、あるいは何かが残って存続を続けるのか、様々な考えがあり人類最大の謎とも言われています。

「いのち」、「生命」、「死」などに関しては、[第2章 大宇宙のしくみ(概説)] の [仮説C] などを中心にして既にご説明しています。しかし、宇宙の本質的な部分であり抽象的で解かり難い部分でもありますので、もう少し嚙み砕いて、批判を恐れずに比喩、推察も交えて解かり易い説明を試みようと思います。

1.基本的なしくみ

繰り返しの説明で恐縮ですが、大宇宙のしくみの要点を簡単にまとめます。

(1) 大宇宙は「根源のエネルギー」で満たされており、それを「気の海」と呼んでいます。「気の海」の中には無数の様々な振動、流れ、動きがあります。振動は、その振動形態によって様々な意味(情報)を持つので、それを「心」や「意識」と呼んでいます。人間や生物が生きている間に抱く現在進行形の「意識」も当然含まれますが、既に亡くなった人間や生物の過去の膨大な「意識」も含まれます。何故なら、「気の海」は高次元空間に属しているので、その振動は消えずに残るからです。

(2) 一方、大宇宙の中には多くの「サブ宇宙」が浮かんでいます。138億年前に誕生した私たちの宇宙もその一つであり、姿・形を持つ無数の物質を包含しています。すなわち物質宇宙です。物質は、姿・形を持つため3次元空間と時間の制約を受けます。

(3) 人間は肉体を持つため、3次元空間と時間の制約を受けます。しかし「意識」は物質ではなく振動ですから、高次元空間の中に拡がり、物質としての制約を受けません。すなわち、人間の「意識」は高次元空間に所属し、肉体は3次元空間に所属する高度複合体です。生命に関する不思議の根源はこの複雑さにあるのです。

(4)「意識」には、感覚、感情、想い、思考など様々なものが含まれ、これらは生命の特徴でもあります。「気の海」にはそれらが無数に振動しているのですから、「気の海」は正に生命で満ち溢れているということになります。ただし、肉体を持つ生物だけでなく、肉体を持たない「意識体」(既に亡くなった人間や生物の「意識」など)が「気の海」の中で多く活動していると考えられます。

2.生と死

人間や生物は肉体を持つため物質宇宙に生まれることになります。その時「気の海」の中の、ある一つの「意識」(の核)が肉体(受精卵など)と結び付けられます。その際同時に、種固有の「生命エネルギー」が肉体と意識を融合して「生」を生じさせ、新たな「意識」を生じさせます。

肉体は物質界の親から生まれますが、「意識」は親の意識とは別の「意識」(の核)が結びつきます。したがって、両親の意識と子の意識は基本的には別であり、別人格になると考えられます。生きている間「意識」は物質界において成長を続けます。そして一生を終えると、肉体は崩壊しますが「意識」は「気の海」に残存し続けます。

すなわち、「死」は単に肉体との別れに過ぎず、「意識」は死後も「意識体」として残存し続けます。そして次の機会に別の肉体と結び付いて別の一生を過ごし、さらに成長する可能性があります。

「意識」は消えないのです。何故消えないのか? それは「気の海」が高次元空間に拡がっているので、高次元の性質によって消えないのです。

インターネットに情報を載せると、完全に削除しない限りその情報は残り続けますね。インターネット空間には新旧織り交ぜて膨大な情報がひしめいています。「気の海」とインターネット空間はその性質がよく似ています。「気の海」に生じた「意識」は消えないのです。

<補足> 2種類の生命体

生命体には2種類あります。肉体を持つ「生物」と、肉体を持たない「意識体」です。生物の活動舞台は物質界であり、意識体の活動舞台は「気の海」です。数量的には、肉体を持たない「意識体」が圧倒的に多数です。「霊」や「神」と呼ばれる「意識」もその仲間です。

それでは何故2つの活動舞台があるのでしょうか? 

物質界には時間があるため、原因と結果が時間でつながり、因果関係が明確化されます。したがって様々な活動結果が明らかになり、成長過程も一目瞭然になります。

一方、「気の海」は意識・情報だけの世界であり、明確な姿・形・変化がありません。高次元のため、時間や空間の概念が無く、あるいは変質しているため、成長過程や結果が明確になり難いからではないかと考えられます。

成長・発展を明らかにするためには、それが明確化できる物質界が便利なようです。

3.晴れ舞台、特設ステージ

「気の海」は無数の意識体で満ち満ちています。一方、人間や生物が住める物質界は、地球など極めて限定されています。広大な宇宙には、他にも生物の住める惑星、衛星などが存在する筈ですが、それでも極めて限られています。地球など物質界は、生命体にとって言わば「晴れ舞台」あるいはスポットライトが当たった「特設ステージ」であると考えることができます。

私たちは、この地球上で「生」を受け一生を過ごします。私たちは、煌々とスポットライトが当たった「特設ステージ」の上で生まれ、活動し、一生を終えて舞台を降り、再び見えない「意識体」の世界に戻っていくと考えることができます。そして絶えず新しい登場人物が「特設ステージ」に現れては消えていきます。

「特設ステージ」すなわち物質界は、生命体が目に見える活動を行うための「晴れ舞台」であり、貴重な「生」の証しの「場」と考えることができます。

4.観客

それでは「特設ステージ」を見守る「観客」は誰でしょうか? それは「気の海」の無数の「意識体」です。

私たちは、物質界で生きている間、ずーっとこれら膨大な数の「意識体」に見守られていると考えられます。見えない「意識体」たちが皆、「特設ステージ」上の私たちの一挙手一投足を見つめて鑑賞、評価、研究しているのかも知れません。

そして一生を終えて舞台を降りたとき、私たちは再び見えない「意識体」となって、今度は見守る立場に変わります。見守る立場になった時、「意識体」は何に関心を持つでしょうか? 多くの場合、生きていた時の自分の子供や孫や家族・友人たちのその後ではないでしょうか? 

晴れ舞台と観客の間では、共鳴・共感によって想いがつながり易いと考えられます。すなわち想いが実現したり、祈りが叶うことに、共鳴・共感が大きく関わると考えられます。

5.大宇宙のしくみから解かること

もし、以上の大宇宙のしくみを肯定することができれば、生き方が変わってきますね。そして何となく以下が理解できてくるのではないでしょうか。

(1)死を恐れる必要はない。

死によって、生命体は「見えるからだ」を切り離し、以後は「見えない意識体」として生き続けます。したがって死を恐れる必要はないのです。むしろ取り扱い厄介な肉体が無くなって自由気ままな意識生活が続くことになりそうです。肉体を維持するために食物を探し、そのために競争し、辛い労働をする必要もありません。その意味では「天国」と言えるかも知れません。

人間は肉体だけの存在と考えてしまうと「死への恐怖」が生じ、人生観も狭くなりがちになり、発展性、成長性が損なわれ易いと思われます。

(2)見守られている

この地球上で「生」を受け一生を過ごしている間、私たちは無数の意識体から見守られています。見つからなければ何をやっても良いという考えは狭量でとても恥ずかしい考えであることになります。「特設ステージ」を降りて見守る立場に変わったときに、我が身を振り返って「冷や汗」がでないようにしたいものです。

(3)試そう、成長しようとする

親から新たな肉体が誕生するとき、それを見守っていた一つの「意識」(の核)がその肉体と結び付きます。観客席の「意識」は常々、自分に足らないものを探し、何がしかを試そう、成長しようとして、それに相応しい機会、環境を探しているようです。

「晴れ舞台」に立つ「意識」は自ら成長しようとして、自発的に地球上の肉体を選んで「生」を得ようとするのかも知れません。

(4)この世とあの世

物質界の「特設ステージ」がいわゆる「この世」であり、「気の海」が「あの世」に相当します。「この世」と「あの世」は別々にあるのではなく同時に存在します。このことは、日本人の死生観と似ていると思われませんでしょうか? 

「この世」は3次元空間であり、「あの世」は高次元空間で次元が異なりますが、相互に影響しあいます。3次元空間は高次元空間に包まれているからです。

太陽が輝いている昼間は、満天の星空を見ることができません。「特設ステージ」は煌々とライトアップされているので、美しい星空、すなわち「気の海」の意識たちを見ることができないと考えると解かり易いかも知れませんね。見えないけれども美しい星空、「気の海」すなわち「あの世」は存在するのです。

(5)「気の海」と「晴れ舞台」の循環

意識体は「気の海」と「晴れ舞台」の間を循環する性質を持つようです。1回あることは複数回あり得ます。すなわち、いわゆる「輪廻転生」があり得ることになります。

「気の海」には無数の「意識体」が存在しており、その一つが新たな肉体と結び付いて「特設ステージ」に降り立つと、新たな生命体が生まれることになります。それが繰り返されることを「輪廻転生」と呼んでいます。

6.生と死に関する様々な考え

人間や生物の生死に関しては、古来より様々な考えがあります。その中のごく一部を簡単にご紹介します。

(1)輪廻転生

「輪廻」は車輪がぐるぐると回転し続けるように、人が何度も生死を繰り返すこと。「転生」は生まれ変わることを意味します。古今東西を問わず、そのように考える方々が多くいます。一方否定する方々も多くいます。ヒンドゥー教や仏教などインド哲学・東洋思想において顕著ですが、古代のエジプトやギリシャ(ピタゴラス、プラトン)など世界の各地で信じられてきました。近代以降も輪廻転生を調査、研究した実例や報告書が多数あり、それらを全て迷信と片付けて否定することは難しそうです。

(2)四有(しう)

四有は輪廻転生の1サイクルを四つに分ける仏教思想です。

心の働きや感情を持つものを有情(うじょう)といいます。生きているものの総称として使われています。この有情が輪廻転生するとき、その1サイクルのなかでの存在状態を四つに分けたものが四有です。なお、有(う)とは生存のこと、ものが存在する状態です。

生有(しょうう)・・・生を受けた瞬間。生まれる一刹那。

本有(ほんぬ) ・・・生有から死ぬまで=現在の生存。

死有(しう) ・・・・死の瞬間=臨終。死ぬときの一刹那。

中有(ちゅうう)・・・死んでから次の生を受けるまで=死有と生有の中間。

(3)チベット死者の書

いわゆるチベット死者の書は、チベット仏教ニンマ派の経典であり、この書をはじめて西洋世界に紹介した人類学者W.Y.エヴァンス・ヴェンツが「チベットの死者の書」と呼びました。深層心理学者カール・ユングがこれを絶賛して以来、欧米にも広く知られるようになりました。また近年では欧米の臨死体験研究者から、その体験談との一致が指摘され、改めて注目されています。

チベットでは臨終を向かえた人の枕元でラマ僧がこの教典を読み聞かせる習慣があります。チベット死者の書では死後49日間バルドゥと呼ばれる生と死の中間的世界(中有)にとどまるとされています。このバルドゥには3段階あり、次の生への転生方法や、輪廻転生から解脱するにはどうしたら良いかなどが説かれています。

(4)スピリチュアリズム

皆さん、スピリチュアル、スピリチュアリスト、スピリチュアリズム、などの言葉に接したことがあるかと思います。スピリチュアルとは、英語の「精神的な」、「霊的な」という意味の形容詞です。

スピリチュアリストとは、「精神的な」、「霊的な」ものを感じ易く、また理解できる人であり、特定の「意識」とつながり情報交換を行うことができる能力を持った方です。日本にも多数の著書を発行しているスピリチュアリストや、TV番組に出演している方々が多くおられます。

なお、スピリチュアリストの能力は人によって大分異なります。自らの「意識」を通して対象の「意識」と共感するので、人によって共感内容の相違や得手不得手が発生するのはやむを得ない面があります。私も何人かのスピリチュアリストと対面したことがありますが、その様子の一部を「ガンにならない歩き方」の中で紹介しています。

スピリチュアリズムとは、「精神的な」、「霊的な」ものを研究、理解し、それを人生に生かそうとする考え方であり古代から種々あります。近代スピリチュアリズムは19世紀中ころから米欧で調査・研究が進められてきており、一言で言えば、死後の世界を肯定し、人は霊的成長(魂の成長)を目指すべきという一種の思想・哲学と言って良いかも知れません。

富士健康クラブ 

   関口 素男

    sekiguchi.m@ozzio.jp









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by jiriki-tachikawa | 2018-06-19 00:38 | 応用編メールマガジン

[大宇宙のしくみが解かってきた!「応用編」]  第39号

[大宇宙のしくみが解かってきた!「応用編」]  第39号

第6章 宇宙のしくみを活かす生き方

6-2.日本人の心の特徴

1.日本人が大事にする心 
7  

(1)もののあわれ

第5章で述べた通り明治初期までの日本人は総じて、純朴、謙虚、律儀、質素、おおらか、穏やか、開けっぴろげ、勤勉などの気質を持っていました。一方、内面的には、大自然の移ろいに対する情緒的な感情を大事にしてきました。平安時代の「もののあわれ」という感性はその代表かも知れません。

「もののあわれ」とは、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁であり、日本文化の美意識の一つの柱になっています。平安末から鎌倉初期の歌人で、自然を愛し諸国を放浪した「西行」は、「もののあわれ」の感動から幽玄の境地を拓き、東洋的な「虚空」、「無」の世界へと結び付けています。

また江戸時代後期の国学者「本居宣長」は、「源氏物語」に流れる心的共通要素を「もののあはれをしる」という一語に集約、凝縮させました。そして「もののあはれをしる」ことは同時に人の心を知ることであると説き、人間の心に対しての深い洞察力を重視しました。

日本の伝統文化は“感性と情緒”を基にして築かれています。

(2)、わび、さび、

私も会社時代に数年間ほど茶道を習ったことがありますが、「わび・さび」について自信をもって説明することはできません。そこで茶人:木村宗慎さんが述べている説明を拝借して、以下に簡単に記してみます。

<わび・さびは、「侘しさ」と「寂しさ」を表す日本語に、より観念的で美的な意味合いを加えた概念です。わびとさびはよく混同されますが、両者の意味は異なります。「さび」は、見た目の美しさについての言葉です。この世のものは、経年変化によって、さびれたり、汚れたり、欠けたりします。

一般的には劣化とみなされますが、逆に、その変化が織りなす、多様で独特な美しさをさびといいます。一方、わびは、さびれや汚れを受け入れ、楽しもうとするポジティブな心についての言葉です。つまり、さびの美しさを見出す心がわびです。>

様々なものが自然に朽ち果てていく様子にまで日本人は「美」を発見してきました。さびが表面的な美しさだとすれば、わびは内面的な豊かさ。両者は表裏一体の価値観だからこそ、わび・さびと、よくセットで語られるようです。欧米の美意識とは大分異なりますね。日本人が世界でますます活躍するためには、こうした日本特有の美意識についての知識が重要になりそうです。

(3)武士道精神

5000円札に肖像が印刷された新渡戸稲造は、武士道を一言で言うと「武士の掟」すなわち「高き身分の者に伴う義務(ノーブレス・オブリージュ)」であると述べています。その中核は「義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義」の7つの精神からなる道徳です。

武士は、美しく死ぬために、生きました。武士にとって、生き甲斐と死に甲斐は表裏一体でした。未練を断ち切って思い切る、決断をする、それが「いさぎよさ」となり、武士以外の一般人にも共感されました。何がそのように行動させるのか、志なのか、義なのか、愛なのか、理想のためなのか、それが大事にされました。

結果ではなく「心の有り様」が大事であり、「何が美しいか」が重視されました。武士道精神、いさぎよさは、一般の日本人の心底にも流れ、重要な美意識の一つになってきました。

(4)恥ずかしくない生き方

上記は貴族や文化人や武士などの美意識と言えますが、一般人はどのような「心」を大事にしていたのでしょうか。

武士以外の一般人であっても、できれば「美しく生きたい」、少なくても「恥ずかしくない生き方をしたい」と考える人が多かったと思われます。

日本には「世間様」(せけんさま)という言葉がありました。そんな事をしたら「世間様」に笑われるとよく言われました。「世間様」から後ろ指を指されたくないとも言いました。「世間様」とは、自分の周囲の不特定多数の人々を総称しています。

また「お天道様」(おてんとうさま)という言葉がありました。「お天道様が見てるよ」、「お天道様に恥ずかしくないように」とよく言われました。「お天道様」の第一義は太陽そのものですが、天空から余すことなく見下ろしている存在、すなわち神を表わしていると思われます。

誰に見られても恥ずかしくない生き方を日本人は目指していました。見つからなければ良い、捕まらなければ何をしても良いと考える国とは大違いですね。日本人は凄いですね!

2.日本人の死生観  

 古代から日本人は死後の世界を考えていたようです。「あの世」という言葉がそれです。

もちろん人によって、「そんなものはない。死んだらそれまで。」と考える人もおられたと思います。しかし多くの人々は、「この世」の外側に「あの世」があり、自分の死後は「あの世」で先祖の霊と一緒に暮らすことになると考えました。

日本人は「間もなくお迎えが来る」、「まだお迎えが来ない」などと言います。「あの世」は怖いところではなく、むしろ幸せを感じられる安寧な天国であり、神の仲間になると考えたようです。

しかも「この世」と「あの世」は交流可能であり、とても近い関係にあると考えました。今でも日本各地で行われている迎え盆、送り盆や様々な祭礼はもちろんですが、日常において仏壇や神棚に拝礼する行為は、「この世」の人間と「あの世」の霊や神とが交流を行なっていることになります。

また人間だけでなく全ての生物も、死後は「あの世」で暮らすことになり、「八百万の神」という概念に発展していきます。「あの世」は、私の仮説の「気の海」とほとんど同じですね! 古代日本人の直観力、洞察力は凄いと思います。

富士健康クラブ 

   関口 素男

    sekiguchi.m@ozzio.jp




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by jiriki-tachikawa | 2018-06-04 11:30 | 応用編メールマガジン

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