富士健康クラブ

[宇宙の不思議・いのちの不思議] 第33号

[宇宙の不思議・いのちの不思議] 第33号

第4章 いのちの不思議

[4-4] 心とは何か? 

「心とは何か?」を誰かに説明しようとすると、明確に説明するのは意外に難しいのではないでしょうか? 実際のところ自分自身の心でさえ十分には把握できないのが現実かと思います。
一般的な「心」の定義はありません。そして人によって「心」の捉え方や範囲が大きく異なります。
ギリシャ時代はもちろん、さらに古く古代インドのウパニシャド哲学の時代から、人類は「心とは何か」について思惟をめぐらせてきました。様々な哲学者、宗教家、心理学者、生物学者、物理学者たちが、心について思索を行ってきました。


1.心と脳の関係

心に関しては、「心」と「脳」の関連をどのように考えるのかによって、大きく2つの考え方に分けることができます。

(1)現代科学においては、心は脳の働きによる副産物と考えています。心は脳の神経ネットワークから生じる随伴現象であり、いわば副次的な存在と考えます。したがって脳が機能停止したら心は自動的に消滅するというものです。「唯物的一元論」とも言われます。
その説明として、脳に損傷を与えると心に異常をきたしたり、記憶が失われるといった症例を挙げます。また脳の一部を刺激することによって幻覚や幻聴がつくり出されるといった現象を取り上げます。そして精神障害(心の病気)は、脳の異常として捉えます。

(2)一方、たとえ脳の機能が停止しても、それは物質レベルの不全に過ぎず、心の存在とは切り離して考える立場があります。すなわち、脳という物質から独立して心(意識)が存在するという考え方です。「心身二元論」とも言われます。
歴史的にはこの考え方が多いと思われます。ソクラテスやプラトンの哲学もそうした見解に立っています。また死後の心の存続を肯定する宗教がたくさんあります。


2.心の病気への対応法

心をめぐって対立する2つの考え方は、心の病気を扱う対処方法にも相違ができています。

(1)心は脳の働きの副産物であると考える「唯物的一元論」では、科学性を重視し唯物医学の立場に立とうとします。そして心の病気を「脳の異常」として考えます。
すなわち、物質である脳の働きや異常状態を追及して、物質ベースの治療法に傾きます。結果として薬物療法や手術が多くなります。

(2)心と脳(物質)を同じものとは見なさない「心身二元論」では、心の病気は心を中心に分析し治療すべきであると考えます。すなわち、臨床と会話による治療を優先し、精神分析や暗示療法など多くの心理療法を生み出してきました。


3.心の異常
   
心とは何かを考える上で、心の病気や異常を知ることがヒントになります。心の病気は実に様々あります。そしてその原因も様々であり、原因不明の病気もあります。良く知られた心の病気として次のようなものがあります。 

認知症、うつ病、統合失調症、パニック障害、てんかん、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、発達障害、適応障害、摂食障害、性同一性障害、解離性障害・・・

認知症は脳の退縮が原因と言われています。一方脳の異常だけで説明し難い病気もあります。
解離性障害の中に「多重人格障害」があります。本人の人格以外に複数の別の人格が現れる障害のことを言います。別の人格は突然本人の人格と入れ替わって、その人の行動をコントロールします。一人の女性に20人以上の人格が現われる事例が報告されています。そして人格が交代するごとに、行動、表情、話し方、言葉づかい、声色、顔色まで大きく変化します。
さらに「憑依」という現象があります。自分の心の中に、他人の心が入ってくる、あるいは影響を受ける現象です。様々なパターンがありますが、これら「多重人格障害」や「憑依」を物理的な脳の異常とするのは無理がありそうです。脳に起因する病気もあるし、そうでない心の病気もあると考えるべきと思います。


4.近代科学と心

近代科学は、17世紀前半のフランスの哲学者ルネ・デカルト(1596年~1650年)に始まると言われています。デカルトの「物心二元論」(物心二分論)が科学のスタート・ポイントになっています。

デカルトの哲学は、心(意識)と物質(肉体)を徹底して分離し、この宇宙は人間の心や意識とは関わりなく存在し、人間の影響を全く受けずに規則正しく運動し続けていると考えました。以後、見えない難解な部分を切り離し、判り易い見える領域だけを対象にすることで、科学が大いに発展しました。しかしデカルト自身は、見えない世界の重要性を十分に認識して盛んに研究していました。

また17世紀後半に登場したアイザック・ニュートン(1642年~1727年)も、デカルトの物心二元論と同様の宇宙モデルに立脚しました。科学の中から意識(心)を排除することによって、近世以前の宗教的迷信の介入を徹底して否定しようとしたのです。しかしニュートンをはじめ当時の研究者の多くは、見えない世界を十分に認識していました。

厄介な心が分離されることで、物質を追究する科学は身軽になり、物理学を中心にして大いに発展しました。一方、心を始めとする非物質の観察は容易ではなく再現性もないため進歩が大幅に遅れました。
科学はニュートンの時代から急速に発達し、19世紀末には様々な物理現象がニュートンおよびその後の新理論で説明できるようになってきました。そして20世紀の前半には、科学至上主義が台頭してきました。
多くの科学者は科学の万能性を信じ、心は脳の働きによる随伴現象であり副産物に過ぎないとまで考えるようになりました。科学のスタート・ポイントであったデカルトの「物心二元論」から「唯物的一元論」に変質してしまったのです。


5.新しい兆し

「唯物的一元論」は、科学者、脳科学者、医学者の多くから支持されてきました。ところが脳科学の権威であるワイルダー・ペンフィールド(1891年~1976年)やジョン・C・エックルス(1903年~1997年)が、後年その立場を大きく変えて、脳から独立した心の存在を認める見解を出し、科学界、医学界に大きな衝撃と波紋を巻き起しました。
しかも、心(意識)と物質(脳)の間に相互関連性があると主張しています。デカルトの「物心二元論」は、心と物質の間には関連性はないと考えましたが、ペンフィールドたちは、心と物質は影響を及ぼし合っているとし、新しい二元論「相関的二元論」を提示しました。

しかしこれらの新見解は、いまだに脳科学者、医学者、そして多くの科学者に受け入れられてはいないようです。これを認めることは現代科学の固執する「唯物的一元論」を否定することにつながるからかも知れません。科学界は「心」の扱いをめぐって今なお混乱しているようです。


<補足> 1分間哲学散歩

人間とは何か? 人間と宇宙の本質を考察し追及するのが哲学です。先ず、ギリシャ哲学をチラっと眺めてみます。

「ソクラテス」(紀元前469年頃~399年)は、人間にとって正しい「知」を得ることが何よりも重要であるとして「主知主義」の哲学を展開しました。人智は僅少に過ぎず、自分の知恵は小さいことを自覚する者が賢者であると考えました。そして人間の肉体は滅びても魂は生き続けると考えました。

「プラトン」(紀元前424~347年)はソクラテスの哲学を受け継ぎ「知を愛する人」こそが最良の人であり、リーダーになるべき人であると考えました。そして本当に実在する世界の本質は見えない「イデア」であって、我々が五感を通して感じている世界はあくまで「イデア」の<似像>にすぎない、とするイデア論を説きました。見えない世界を重視したのです。「霊―肉二元論」とも言われます。

大幅に時代を下り、17世紀のルネ・デカルトは、すべての存在を吟味し、疑い、絶対確実に存在するものは何かを追究しました。そして疑いをはさむ余地のないものは、今まさに疑いかつ考えている自我だけであると結論づけました。いわゆる「我思う故に我あり」です。考えている「自我」は確実に存在し、考え、意識する主体であると捉えました。

そしてデカルトは、物質と心を切り離して考えようとする「物心二元論」を提唱したのです。それを契機にして、容易に観察できる物質の追及が急速に進み、科学が目覚ましく発展しました。一方心を始めとする非物質の追及は大幅に遅れました。物質と心に関して、その理解度のバランスが大きく崩れているのが現状と思います。


第5章で心や意識に関して大幅に視野を拡大して考える私の仮説をご紹介いたします。
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by jiriki-tachikawa | 2015-03-26 00:00 | 不思議メールマガジン

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